肩で息をしながら、トゥアゴンはその場に倒れこんだ。草のクッションに身体を預けて、大きく呼吸を繰り返す。
 木の緑の間から見える空の青に目を閉じると、両腕をクロスして閉じた瞼の上に乗せて透けてくる明るさを遮断する。その代わりに届く風の音や鳥の声と、それに重なるように聞こえる心臓の音に、トゥアゴンは意識を集中させた。
 身体全体を巡る音。それに合わせて、ゆっくり呼吸を整えてゆく。少しそうしていると、すぐに息苦しさは治まった。
「は――……」
 長く、長く、息を吐く。
 視界に被せていた腕をのけて瞼を開くと、自分をここまで連れてきてくれた子馬と目があった。心配しているようなその目に、「ごめんね」と言う。「突然だったのに、思い切り走らせてしまったね」
 本来なら彼は年齢上、大人がつかないで乗馬することをまだ許可されていない。にもかかわらず、トゥアゴンは都からここまで、この馬に乗って駆けて来たのだ。改めて確認すると、とんでもないことを仕出かしたような気がしてきた。
 ばれていないと断言する自信はなかった。どちらかといえば、今頃大騒ぎになっている可能性のほうが高いと、そう思う。それはそれで面白いんじゃないかと思う自分が、何となく不自然だった。
「フィンロドじゃないんだから」
 無意識に呟いてから、後悔した。
 噂をすれば、という言葉があることを、忘れていたのだ。

「見つけた!!」
 彼はやはり同じように馬を走らせてきたらしい。トゥアゴンほど疲れた様子はなく現れると、嬉しそうにそう言って転げるように飛び降りてきた。
 驚いてぽかんとしているトゥアゴンに気付いていないように、フィンロドは金色の髪を流して倒れこんだ。ふたり、並ぶように横になる。
「……フィ、フィンロド……?」
「ちょっと待って、まだ少し苦しいから」
 笑いながら言う彼の表情は、それほど苦しそうには見えなかった。
 呼吸を繰り返し、乱れの少ない息を整える。すぐに落ち着いた鼓動を確認したか、フィンロドは顔だけをトゥアゴンに向けて、にこりと笑った。
「良かった、追いついて」
 ひょっとしたら無理なんじゃないかと思ったよ。と続ける。
「追いかけてきたの?」
 思わず起き上がったトゥアゴンに、フィンロドは横になったまま「そうだよ」と言う。「きみが走ってゆくのが見えたから、慌てて追いかけたんだ」
「どうして?」
「それはこっちの台詞だよ。どうしてこんなことをしたの?」
 責める風でなく言ってから、フィンロドは大の字に転がったまま瞼を下ろす。黙ったままのトゥアゴンに、まぁ、良いけれど、と笑った。
 良くはない。それはトゥアゴン自身が一番よく解っていた。
 けれど答えられなかったのだ。どうしてこんなことをしたのか、彼にも正直、上手く説明できなかった。
「……なんとなく」
 かろうじてそう答えると、フィンロドは「なるほど」と相槌を打って、草の上で伸びをした。微笑んで、自分を乗せてきた子馬に手を伸ばすと頬を擦らせる。
 何も興味はなさそうだった。本当に、ただ意味もなく、馬に乗って駆けていく友人を見かけたから追いかけただけだと、彼は言外にそう言っていた。無茶苦茶だ、と思う。
「悔しいなぁ」身体を起こしながら、フィンロドは言う。どことなく嬉しそうな声だった。「本当なら私の役目なのに」
 彼が何を言っているのか、一瞬理解できなかった。楽しげに馬の頬を撫でてキスをしている姿をぼうっと眺め、そして思い出す。
 こっそり抜け出してしまえばきっとばれないよ。
 だめだよ、私たちはまだ、ひとりで馬を操れるほど身体が大きくないんだから。
 そんな会話をしたことは一度や二度ではない。乗馬に限らず、余計なことに手を出したがるのは常にフィンロドで、それを窘めるのがトゥアゴンの役目だった。
 確かに、これでは立場がまるで逆である。
 何となく気が抜けて、トゥアゴンは再び寝転がった。上から、きれいな声が降ってくる。
「今頃きっと、みんな探しているよ」
「やっぱり?」
「うん。抜け出すのなら、もっとばれないようにしないと。きみらしくない」
「本当に突然思いついたんだ、出かけようって。何も考えていなかったよ」
「じゃあ、次は気をつけないと」
「次?」
 怪訝に思って視線を上げると、フィンロドは悪戯そうに笑んでいた。
「だって、私を放ってこんな面白いことをしでかしたんだもの。不公平だよ。今度はふたりで、見つからないように出かけよう」
 そうじゃないと、また追いかけてくるから。
 膝を抱えながらそう言ったフィンロドに、トゥアゴンは少し考えてから、一応、というふうに口にする。
「けれど次を考える前に、今回のお説教から逃げる方法を考えないと」
 何とも申し訳のないことだが、彼は巻き込まれたのではなく、勝手についてきたわけで。
 自分も同罪だということを、ひょっとして忘れているんじゃないだろうか。
 確認するように問うと、予想通り、彼は『しまった』という表情でしばらく黙り込んで、「私も怒られるのかな?」と当然のことを聞いた。


TOP