「絶対に、私の方が好きだと思うんだ」
 言って、フィンロドは手にしたカップをどん、と置いた。
 いきなりひとの部屋に突入してきた彼は、そのときにはもう随分酒が入っているようだった。高潮した頬、不確かな足取り。呂律こそどうにか回っていたが、しかし言っていることはよく解らなかった。恐ろしいのは、この従弟の不可解な言動というのが、決して酒が回った時にのみ起こるわけではないという点だ。
 しかし珍しいと思う。極端にハイテンションになることはあっても、こう思いつめたような表情で酒を煽る彼など、今まで見たことがあったろうか。
「聞いているの? フィンゴン」
「聞いてる聞いてる」
 半分くらい聞き流しながら、フィンゴンはぺしぺしと頬を叩いてくる従弟に答えた。まったく、何て役回りだと思う。
 そりゃあ、愚痴りたいことくらい誰にでもある。楽天家なふうに見える彼だって、何も考えないで生きているわけではないことくらい、フィンゴンもよくよく解っているつもりだ。酒を飲んで忘れたい事だって、きっとあるだろう。悩みがあるなら聞いてやるべきだろうし、自分に出来ることなら手助けも厭わない。ほとんど弟も同然の存在である、当然だ。
 しかし。
「だってトゥアゴンは、私が逢いに行ったって『またきたの?』という顔をするんだよ? 確かに私は何の予告もなく遊びに行くし、トゥアゴンは馬鹿真面目にも色んなこと引き受けるから忙しいのだって解っている。あの子は本当に、断るということを知らないのだから。あのままでは過労で倒れてしまう。ああ、けれど、それにしたって酷いよね。いくら忙しくてもやっぱり、私は彼と遊びたいんだよ。ね? ほら、やっぱり私の方が、絶対彼のことを好きだと思うんだ。そうは思わない?」
 これは相談ではない。のろけだ。
 何度も同じ言葉を繰り返し、まるでそれが今自分の抱えたどうしようもない出来事なのだという風にぶちぶちと愚痴を吐く。いい加減にしてくれと邪険に扱えば、「私は普段きみののろけ話を聞いてあげているのに、いざ自分が聞かされるとなると面倒だと思うなんて、それは我儘というものだよ」と据わった目で睨んでくるのだ。
 ああ、もう、ただの酔っ払いだこいつは。
 ここまでへべれけに酔うことは滅多にないだろうに、いったい何を思って自棄酒を起こしたのだろうか。問い掛けると、フィンロドは持ち込んできたワインを再びぐいっと含み、そして吐き出すように言った。
「お前、って言ったんだ」
 いったい何の話をしているのか、さっぱり掴めなかった。
「お前だよ? お前。最近、きみのところの泉の跡取りをいつも側においているじゃない? だからだよ。ああ、もう。どんどん、どんどん彼は、『上に立つ者』になってしまう」
「……なるほど」
 要は、寂しいのか。
 本来ならばそういう業務は長男であるフィンゴンの方が受けて然るべきなのだろうが、彼の場合は執務よりも馬を走らせ、剣を振るう方が性に合っていると、周囲の誰もが認めている節があった。その代わりのようにして、トゥアゴンが父の補佐として働いていることが多いのだ。ここ最近は急増したようにも思う。
 フィンロドはというと、長男という肩書きに縛られることなく自由気侭に暮らしている風だった。実際、彼の弟の方が仕事を引き受けているらしく、忙しそうにしている。
「私はね、我儘なんだよ。自分がふらふらと遊びに行くのは構わないし、彼が私の見えないところへ行ってしまうのも仕方がない。けれどね、彼が私を見なくなることだけは、絶対に嫌なんだ」
 平たく言うと、仕事馬鹿になってほしくないんだよ。と付け足して、フィンロドは机に突っ伏した。うー、と小さく唸り声を上げている。
「私はあの子のことを誰よりも失いがたい親友だと思っているし、彼が私を好きな五万倍くらいは、彼のことを好きなんだよ。けれど、五万倍じゃ寂しいんだ。私が彼よりも彼を好きになる分、寂しいんだ」
 やっぱりのろけだ。
 段々と不明瞭になってゆく口調に、フィンゴンはそろそろだな、と思う。酔っ払いは最終的に、意味不明なことを口にしながら眠りこけるものなのだ。
 予想通り寝息を立てはじめた従弟に苦笑して、フィンゴンは立ち上がって廊下を覗く。そこには思ったとおり、片手で顔を半分覆ったまま突っ立っている弟がいた。
「…………寝ましたか」
「ぐっすりな」
 手招きしてやると、トゥアゴンは長く長く溜め息をついてから部屋に入ってきた。金の髪を散らかして倒れているフィンロドを一瞥して、そしてやはり、嘆息する。
 そのうちこの弟は、体内の酸素を溜め息で放出し尽くしてしまうのではないだろうか。
「いつからそこにいたんだ?」
「最初からですよ。フィンロドがありえないくらいに酔っ払って、その上うちに向かったと聞いて、慌てて帰って来たんです」
 自分のところに来るものだと思っていたのに迷わず兄の部屋へ進んでいったフィンロドを見て、それが悔しくて立ち聞きを決行したのだろう。
 部屋の外を右往左往する気配に気付いていたフィンゴンは、手に取るように想像できるその情景を思って笑った。
「……確かに最近、少し邪険にしすぎたかもしれない、けど」
「お前は寝ている相手じゃないと謝罪も出来ないのか?」
 まるで何もなかったかのように眠る従兄弟へ話しかけるように呟くトゥアゴンに、フィンゴンは呆れたふうにそう言った。からかったつもりだったのだが、しかしトゥアゴンは憮然と、「謝罪じゃありませんよ」と言う。「謝罪じゃなくて、悪口です」
「悪口?」
「何だか随分、……随分、勝手なことを言われたみたいですから」
 言いながら、フィンロドの頭を軽く叩く。声は静かで、何を思ってそうしているのかよく解らなかったが、少なくとも楽しんでいるわけではなさそうだ。
 何度か続いた攻撃に、うー、と唸るフィンロドは、しかし起きる気配を見せなかった。それを確認してから、
「本気で思っているのなら、とんだ馬鹿だよ、きみは」
 そう言って、トゥアゴンはフィンゴンに振り向いた。すっきりした、という表情の弟は、少し笑って「どうします?」と問う。おそらくは、当分起きないであろう従兄弟をどうするか。
 どうするも何も、この部屋のベッドを明け渡すのが一番早いだろう。
 でしょうね、と同意したトゥアゴンはやけに機嫌が良く、フィンゴンは少し考えてから、やはり一応、聞いておくことにした。
「五万倍、だそうだぞ」
「らしいですね」
 トゥアゴンは、嬉しそうに笑った。
「でもそうだとしたら、私の方が上だ」


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